村に住んでいる
2022/11/11
2022/11/11
なんとなく、岡山市内の生活に飽きて、
10年以上暮らしたマイホームを友人に買い取ってもらい、
我々家族は、西粟倉村に移住した。
ここに来て、かれこれ1年半が経過している。
良かった事もあるし、悪かったこともあるけれど、
基本的にはとても、村での生活を楽しめていると思う。
欲しい物はすぐに手に入らないが、Amazonという大きなショッピングモールが寄り添ってくれている。
人口も、人口密度も少ないが、人工林は近く、野生の動物ともよく目が合う。。
色んな人に会う機会は少ないが、ご近所さんは皆家族みたいなものだ。(と自分は思っている。)
人間にとっての適正な距離感は、これくらいなんじゃないか?とも思う
『西粟倉村に住んでいます。』と言うと、
『へー!面白い!』と興味を持たれるか、
失笑されるか無反応か、だいたいそんな感じだ。
色んな価値観があるのだから、そりゃそうだ。
たまに仕事で、『市内』に行くけれど、
人が多すぎて、クラっとしそうな時がある。
物欲が減ったせいか、リアルなショッピングモールではトキメキを感じなくなってしまった。
目的地まで車を走らせるも、村なら半分の時間で行けるのに、とか思ってしまう。
もちろん、良いことばかりではない。
例えば、光インターネットが来てはいるが、平日の夕方と休日は、速度が激落ちする。
草刈機など見たことしかなかったのに、男性は持っているのが当たり前で、やたら草刈行事も多い。
これはメリットでもあるのだけれど、雪が降る。
移動は少し困難だけど、除雪車が通ってくれるので、思うほどでもなく。
むしろ子供たちの通う小学校では、授業でスキーがあるので喜んでいる。
そしてシンプルに、雪景色はキレイだ。
村の子供たちは、なんというか大人に慣れていて、みんな親しげに話しかけてくる。
都会では、隣人の顔も知らないとか聞くけれど、
ここでの隣家は、隣の部屋みたいなものだ。(だいぶ誇張している。)
正直なところ、自分の性格だと、だいたいの所なら楽しめるのではないかと思う。
だけど2~3年前に初めて気付いた事なのだけど、
どうやら自分は、『飽き性』というタイプに分類される人間のようだ。
自分のことは自分ではよく分からないもので、妻に言われて、受け入れてみて、初めて自覚した。
そう言われてみれば、いつか必ず、海の見える場所で暮らしてみたいと、かなり真剣に考えている。
ホテル暮らしもしてみたいし、マンションリノベ暮らしもしてみたいし、
キャンピングカー生活もしてみたいし、ツリーハウス生活もしてみたい。
カフェをやってみたい、という願望が無くなったのは、色々と大変そうだし、良い変化なのだと思っている。
きっと自分は、生活すること自体が好きなのだろう。
『趣味が無い。』と自慢のように言ってきたけれど、生活と趣味がイコールなのだろうか。
今は、妻の実家に住まわせてもらっている。
その方が、子育てや家事の面で、お互いに色々とメリットが多いと考えたからだ。
脱持ち家、というのを経験してみているが、
金銭的にも、なかなか良いものだ。
しかもここには、自然が広がっている。
一つ気になるのは、かなり人の手が加わった、自然のように見える人工林、というところだろうか。
杉、檜、杉、檜、で、飽き飽きしてくることもある。
それでもやはり、自然に抱かれた感覚と共に、生活を送っている。
そして正直、根っからの飽き性が、チラチラ垣間見えているのを感じないわけでもない。
さて、次はどこで住まうのだろうか。
どんな住まい方になるのだろうか。
いつ、動くのだろうか。
きっと死ぬまで、生活を楽しもうと、試行錯誤を繰り返すのだろうと思う。
少なくとも今は、村に住んでいる。